八月末、壁紙の裏から黒い点が出てきた
夏の終わり、家具を動かしたときだった。
冷風機を置いていた場所の壁。腰から下あたりに、直径二センチほどの黒い斑点が三つ。
指でこすったら、ざらっとして、指先に灰色がついた。
ここ、一度も見てなかった
鼻を近づけると、土のような、酸っぱいような匂い。壁紙の継ぎ目に沿って、細い黒い線が下へ伸びていた。
その夏、その部屋で毎日冷風機を回していた。四か月ぶん、まるまる。
シェアハウスの住人六人のうち、三人が冷風機を持っている。エアコンの効きが弱い部屋、あるいは室外機の置き場がない部屋。事情はそれぞれ。
三年観察してきて、カビを出した部屋と出さなかった部屋の差が、はっきり見えてきた。置き方と、水の扱い。この二つに集約される。
冷風機は、部屋の湿度を上げる装置
ここを誤解している人が多い。
エアコンは、冷やすと同時に空気中の水分を外へ捨てる。だから運転すると部屋が乾く。
冷風機は違う。水を蒸発させて、その気化熱で風を冷やす仕組みのものが多い。使った水は、部屋の空気に混ざる。
つまり、涼しくなるほど部屋は湿る。この一点を理解しないまま使うと、必ずどこかにカビが出る。
湿度六十五パーセントが分かれ目
黒カビが動き出す条件は、温度が二十度以上で、湿度が六十パーセントを超えたあたりから。七十を超えると加速する。
夏の室温は放っておいても二十度を超えている。だから湿度だけが変数になる。
うちの部屋を測ったら、冷風機を三時間回した時点で七十二パーセントあった。外より高い。
壁の裏が黒くなるのも、当然といえば当然だった。
排熱の逃がし方で、結果が変わる
ダクト付きなら、窓の外へ出しきる
冷風機には二種類ある。
コンプレッサーを積んだタイプは、エアコンと同じ原理で冷やす。そのぶん熱が出るので、後ろのダクトから排熱を外へ出す必要がある。
このダクト、窓に差し込むだけで満足している人がいる。すき間から熱が戻ってくる。
窓枠用のパネルで、しっかり塞ぐ。すき間には隙間テープを貼る。
うちの住人が段ボールとガムテープで塞いだら、その部分が結露して、段ボールの下端が波打った。三週間後、その段ボールに白い綿みたいなものが生えた。素材は防水のものを使う。
ダクトなしのタイプは、部屋を締め切らない
気化式のものは、排熱ダクトがない。かわりに水を蒸発させ続ける。
締め切った部屋で回すと、逃げ場のない水蒸気が部屋に溜まり続ける。
使うときは、部屋のどこかを開ける。窓を五センチでいい。ドアを開けて廊下と空気を通すだけでも違う。
うちの成功例は、窓を細く開けて扇風機を外向きに回す組み合わせ。湿った空気を押し出しながら使う。
体感の涼しさは少し落ちる。でも壁は黒くならない。
ダクトを、床に這わせない
熱を運ぶ管が長く垂れて、床に接している状態。
表面が結露して、床に水が溜まる。フローリングなら染みになり、畳なら数週間でカビが出る。
ダクトは短く、真っ直ぐ。曲げると内部で熱がこもって、効率も落ちる。
うちは百円ショップの結束バンドで、窓枠まで持ち上げて固定した。床から浮かせるだけで、下の湿気が消えた。
本体の中で、水が腐る
タンクの水は、毎日捨てる
気化式の冷風機は、タンクに水を溜めてフィルターを湿らせる。
その水を一週間放置すると、独特の匂いが出る。生ぬるい、雑巾に似た匂い。あれは菌が増えた証拠。
匂いのついた水が蒸発すれば、その空気を部屋中に撒き散らしていることになる。
使い終わったら、タンクの水を捨てる。翌日は新しい水を入れる。作業は一分。
うちの住人が三週間ためたタンクを開けたとき、水面に薄い膜が張っていた。あれを見てから、全員が毎日捨てるようになった。
フィルターは、乾かす時間を作る
水を吸う気化フィルター。常に湿ったままだと、そこがカビの温床になる。
一日の終わりに、送風だけのモードで三十分回す。内部の水分が飛ぶ。
週に一度は取り外して、水洗いする。白い粉が固着していたら、それは水道水のミネラル分。薄めたクエン酸に一時間浸けると落ちる。
乾かすときは陰干し。直射日光に当てると、素材が縮んで隙間ができる。
ドレンホースの先を、上に向けない
コンプレッサー式は、除湿した水が出る。
排水ホースの先を、バケツより高い位置に置いていると、水が逆流して本体内部に戻る。
先端は必ず、本体より低い位置へ。バケツで受けるなら、床に置く。
バケツの水も毎日捨てる。溜めっぱなしのバケツからは、しばらくすると鼻をつく匂いが立つ。
置く場所を、一歩ずらす
壁から十五センチ離す
本体の背面と壁が近いと、そのすき間に湿った空気と熱が滞留する。
うちの壁が黒くなったのは、まさにその位置。冷風機の背中が壁に触れていた。
最低十五センチ、できれば二十センチ空ける。掃除機のノズルが入る隙間があれば合格。
月に一度、動かして壁を触る。冷たく湿っていたら、その時点で対処する。
家具の裏と、床の角を避ける
本棚の裏、押し入れの前、部屋の隅。空気が動かない場所に置くと、湿気がそこに集まる。
特に押し入れの前は最悪。ふすまの隙間から湿った空気が中に入って、布団に移る。
部屋の中央寄り、風が抜ける動線上に置く。見た目は邪魔だが、壁の被害と天秤にかける話。
下に、吸水するものを敷かない
カーペットやラグの上に直置きすると、結露した水が繊維に溜まる。
うちの住人がラグの上に置いて、シーズン終わりにどかしたら、四角い黒い跡が残っていた。洗っても取れなかった。
プラスチックのトレーか、防水シートを敷く。百円ショップのもので足りる。
畳の上なら、必ず何か挟む。畳表は水を吸うと、その下から一気に来る。
すでに生えてしまったら
アルコールでは、根が残る
黒カビが壁紙に入り込んでいる場合、消毒用アルコールでは表面しか取れない。
一時的に見えなくなって、数週間後に同じ場所からまた出てくる。
塩素系のカビ取り剤を使う。壁紙に直接吹くと液だれするので、キッチンペーパーに含ませて貼り付ける。十分置いてから、水拭きで薬剤を完全に取る。
換気を全開にして、必ず窓を開けて作業する。他の洗剤と混ぜない。
うちは色柄のある壁紙で、色が抜けた。目立たない場所で試してからやったほうがいい。
壁紙の内側まで行っていたら、諦める
表面を拭いても黒さが残る、あるいは壁紙が浮いている。
この状態は、下地のボードまで菌が入っている。表面の処理では戻らない。
賃貸なら、管理会社に連絡する。放置して退去時に発覚すると、原状回復の費用を請求される可能性がある。早めに相談したほうが、結果的に負担が軽い。
うちは正直に伝えて、部分的な張り替えで済んだ。費用は折半になった。黙っていたら全面だった。
匂いが戻るなら、まだ生きている
掃除した数日後、雨の日に同じ匂いがする。
湿度が上がったときだけ匂うのは、菌が残っていて活動を再開している合図。
この場合、表面の掃除では追いつかない。壁の裏か、家具の裏か、床下か。どこかに本体が残っている。
匂いの強い場所を、鼻で探す。しゃがんで、四つん這いになって、壁際を辿る。恥ずかしい姿勢だけど、これが一番早い。
それでも冷風機を使うなら
湿度計を、同じ部屋に置く
千円しない道具で、判断が全部変わる。
運転して一時間後、湿度を見る。六十五を超えていたら、窓の開け方か、置き場所を変える。
体感では絶対に分からない。涼しいと感じているとき、部屋は最も湿っている。
うちは冷風機の横に湿度計を貼り付けた。数字を見ながら窓の開き幅を調整する。それだけで、翌年は壁に何も出なかった。
除湿機と組み合わせる
矛盾しているようだけど、これがいちばん確実。
冷風機で涼しくして、除湿機で水分を抜く。電気代は上がる。
うちの住人が両方回して、湿度五十五パーセントを保っている。彼の部屋の壁は、三年経ってもきれいなまま。
どちらか一台しか置けないなら、そもそもエアコンが入る部屋を選ぶ話になる。
シーズン終わりに、完全に乾かす
九月に使い終わって、そのまま押し入れへ。これが翌年の匂いを作る。
タンクを空にして、フィルターを外して洗って、本体の内部を送風で二時間回す。
乾いたのを確認してから、袋に入れずに保管する。ビニールで包むと、残った水分が閉じ込められる。
去年の秋、壁紙を張り替えた部分を撫でてみた。
継ぎ目がわずかに分かる。新しい白と、日焼けした白の境目。
その手前に、今年は湿度計が置いてある。針は五十八を指していた。
窓は五センチ開いていて、扇風機が外に向かって静かに回っている。
「これ、閉めちゃだめなやつだよね」
通りかかった住人が窓に手をかけて、そのまま引っ込めた。

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