深夜2時、壁の向こうで室外機が唸り始めた
去年の12月、都内に初めて氷点下の予報が出た夜のことだ。
布団に入って三十分ほど経ったころ、壁の奥から突然、ヴヴヴ…という低い音が湧いてきた。本棚のガラス扉がカタカタと小さく鳴る。自分の部屋のエアコンを疑って暖房を切った。それでも音は止まない。
え、まさか隣の?
答えは隣室のカナの暖房だった。彼女の部屋の室外機は、私の部屋の壁の裏側に金具で吊るされている。いわゆる壁掛け。
その夜、私は奥歯に力が入ったまま朝を迎えた。
北側の外壁に、室外機が3台ぶら下がっている家
私が暮らすシェアハウスは、築30年を越えた木造二階建てを改装した家。
一階の部屋の室外機は庭に置いてある。問題は二階だ。北側は隣家との隙間が70センチしかなく、地面に室外機を置くと人が通れなくなる。改装のときに工務店が選んだのは、外壁にL字の金具を打って3台を横並びに掛ける方法だった。
そのうち2台が、私の部屋の壁の真裏にある。
入居して二回目の冬、私はその意味をようやく体で理解した。壁掛けのデメリットを誰よりも知っているのは、施工した人でも売った人でもない。その壁の内側で眠る人なんだよね。
壁掛けは50台に1台の特殊な工事だった
1月に点検へ来てくれた電気工事士のノムラさんは、この道25年。
「壁掛けはねえ、年に何十台と付けても、50台に1台あるかないかですよ」
はしごの上から降ってきた声は、あきれ半分、同情半分だった。
戸建てなら一階は地面置き、二階はベランダ置き。ベランダがなければ屋根に置くか、配管を伸ばして一階へ下ろす。壁に掛けるのは、それらが全部できないときの最後の手段になる。
壁掛けを提案された時点で、その家の室外機置き場には何かしら無理がある。ここを押さえておかないと、この先の話が全部きれいごとに聞こえてしまうでしょ?
最大の弱点は、家そのものが太鼓になること
柱にボルトを打つから、振動が部屋に直接届く
ノムラさんは金具のボルトを一本ずつ手で揺すり、緩みがないことを確かめてから言った。
「施工は悪くない。悪くないから、余計に響くんです」
壁掛け金具は、外壁の裏にある柱へ直接ボルトを打ち込む。室外機の震えは柱を伝って部屋に届き、運転音が気になる人が出てくる。コンプレッサーとファンの震えが、金具から柱へ、柱から壁へ、壁から私の枕元へ。地面置きならコンクリートの台と土が吸ってくれる分を、木造の家が代わりに引き受けている。太鼓の皮を叩いているのと変わらない。
スマホの騒音計アプリで測ってみた。真夜中の暗騒音が33デシベル、隣が暖房を入れると41から43。
(45って、もう目の前じゃん)
アプリの数値は目安に過ぎない。とはいえ、住宅地の夜間の環境基準が45デシベルだと知ると、数字の重さが変わる。
ノムラさんには、狭小住宅で3台を横並びに壁掛けした現場の記憶がある。暖房を入れた瞬間、内側の部屋の騒音レベルが10デシベル以上跳ね上がった。騒音計で見届けた数字だ。
「暖房の立ち上がりが特に響く。夏の冷房は気にならなくて、冬に初めて気づく人が多いんですよ」
私がまさにそれだった(笑)
防振ゴムで丸くはなるが、消えはしない
最初の対策は防振ゴム。室外機の脚と金具の間に硬いゴムのパッドを挟む。部材は四つで数千円、作業費を足しても一万円に届かなかった。
2月の最初の夜、音は確かに丸くなった。カタカタという金属の共鳴が消えたのだ。
ただ、ヴヴヴという低い唸りは残った。低周波は壁の質量そのものを揺らすから、薄いゴムでは受け止めきれない。
隣室のカナは看護師で、夜勤明けの昼に眠る。彼女の場合は向きが逆で、私が昼に暖房を入れると、彼女の壁が鳴る。
「耳栓しても骨に来るんだよね。ジンジンって(泣)」
こめかみを指で押さえたカナの目の下は、青かった。
壁掛けの振動に困ったら、防振ゴム、ボルトの増し締め、効かなければ移設。順番はこれしかなく、最初の二つで終わる保証はどこにもない。
費用は取り付けた日に終わらない
金具込みで1万6千円から、2mを超えると高所費が乗る
大手量販店の料金表では、壁面工事は追加料金で16,500円から。条件には、地上から2m以内の場所とある。作業内容によっては、高所作業費が6,600円から別に加算される。
ノムラさんの相場感もほぼ同じで、金具込みで1万5千円前後、足の高さが2mを超えれば高所費。3階の壁に掛けた現場では、はしご作業の危険料として3万3千円を受け取ったことがある。
量販店によっては2階以上の壁への設置を受け付けず、軽量鉄骨の建物も強度の理由で断るケースが珍しくない。
(置き場所がないだけで、こんなに取られるのか…)
安く済ませたいから壁掛け、という発想は最初から成り立たない。壁掛けは、置き場所がない家が払う割増料金だ。
点検も買い替えも、毎回はしごが要る
費用が一度で終わらないのは、むしろ取り付け後のほう。
私の部屋の裏の室外機は、地上から2m40センチの高さにある。1月の点検でノムラさんが車から降ろしたのは、脚立ではなく二連はしごだった。
点検のたびに高所作業費。クリーニングにも高所作業費。10年後の買い替えでは、金具の交換とはしご代が重なる。
「壁掛けは、何かあるたびに割高になる設置なんです」
はしごをたたみながらの一言に、この記事の芯は尽きている。
壁と家に負わせるもの
柱と外壁に穴を開け、後戻りはできない
木造なら、金具のボルトは太い柱がある位置にしか打てない。柱は外からは見えず、家の構造を読める職人でないと位置を外す。ツーバイフォー工法は柱が細く、細い木へピンポイントで打つのは難しい。
外したボルトは、ビリビリという異音と、最悪は落下の原因になる。
それに、一度開けた穴は戻らない。壁掛けをやめて地面置きに変えることはできる。ただし柱と外壁の穴は、コーキングで塞いで残るだけ。
うちも3月の移設のあと、北側の外壁に灰色のコーキングの丸が六つ並んだ。
賃貸なら許可と原状回復がセットになる
賃貸で壁掛けを希望するなら、話はもっと長い。
契約書で穴あけが禁止されていることは多い。無断で開ければ契約違反になり、修繕費の請求や契約解除にまで進みうる。
分譲賃貸だと、大家の許可だけでは足りない。廊下側の壁は管理組合が管理する共用部で、大家の一存では決められないからだ。大家の許可を得て穴を開けたあと、管理組合から原状回復を求められた例が実際にある。
入居時に外壁と室内の穴を写真に残しておく。退去の立ち会いで、この穴はあなたのですよね、と言われる場面を写真一枚で回避できる。
水と風と隣の家
暖房の水が頭の上から落ちてくる
2月の朝、隣家との隙間の通路に、氷の粒が点々と落ちていた。
暖房中の室外機は、霜取り運転のたびに溶けた霜を水として吐く。地面置きなら足元が濡れるだけで済む。壁掛けは頭上2mから落ちてくる。ポタッ、ポタッと、深夜の暗い通路で氷になっていく。
意外と知られていないが、室外機の底にドレンホースをつなぐ処理は標準工事に入っていないことが多い。頭より高い位置に掛けて暖房を使うなら、排水処理を別に頼まなければならない。うちの家には、それがなかった。
隣家の方から、軒下に水が溜まると控えめに言われた朝、私は首の後ろが熱くなった。
壁掛けで暖房を使うなら、下部ドレンの排水先まで最初に決めておく。垂れ流しでいいのは、下に誰も通らず、何も置かれていない場合だけだ。
通風が2方向しか取れないと効率が1割落ちる
パナソニックの据付条件では、室外機は前後左右上のうち3方向を開放し、上は原則空けておくとされている。ベランダなどでやむを得ず2方向しか開放できない場合、冷暖房能力と消費電力が10%程度悪化する。
壁掛けは背面が壁で埋まる。隣家との隙間が狭ければ、正面の吹き出し口の先も隣家の壁だ。
熱風が隣家の植木鉢に当たり続けて枯らし、揉め事になる。そういう話は珍しくないと、ノムラさんは言う。
振動、費用、穴、水、風。壁掛けのデメリットは本体にはなく、掛ける壁と、その周りの環境に全部が引きずられるところにある。
壁掛けを選ぶしかないなら、のむべき条件
寝室と隣家の窓の裏には付けない
置き場所がなくて壁掛けしか残らない家も、現にある。その場合でも、掛ける壁を選ぶ権利だけは手放さないでほしい。
寝室の壁の裏は避ける。夜勤の人がいるなら、その部屋の壁も外す。隣家の窓と向き合う位置も候補から消す。
うちの失敗は、北側が最も目立たないからという理由で、二階の寝室三つの真裏に3台を並べたことだった。
見えない場所に隠したものが、耳の真横に来てしまった。
見積もりの段階で、防振材と下部ドレンを入れておく
あとから足すと、そのたびに高所作業費が乗る。だから最初の見積もりに、防振ゴムと下部ドレンの排水処理を入れてもらう。
柱の位置をどう確認するのか、工法は何か、金具の耐荷重は何キロか。この三つを業者に説明させ、答えが曖昧なら別の業者に変える。
工事当日は、暖房を最大で30分回してから帰ってもらうこと。あの時うちの工務店は、稼働確認をせずに帰っていた。冬になるまで誰も気づかなかった理由が、これだ。
壁掛け以外の逃げ道と、その値段
壁掛けが16,500円からなら、ほかの方法はどうか。
同じ料金表を並べてみる。屋根置きは15,400円から。二階から一階へ下ろす異階工事なら13,200円からに、配管延長が1mごとに3,850円ずつ乗る。2段置きは26,400円から始まり、天吊りは壁面と同じ16,500円から。
正直言って、金額だけ見れば壁掛けは真ん中あたりだ。違うのは、その後に何度もかかる費用と、家に残る痕。
うちが結局選んだのは、私の壁の裏の2台を庭側へ立ち下ろし、2段置きの架台に載せる方法だった。配管を4m延ばして、2台で7万円台。管理会社が負担してくれた。
3か月かけて壁から下ろした結論
3月の終わり、移設が終わった夜。
布団に入って、いつもの時間に隣の暖房が入るのを待った。壁は静かだった。本棚のガラスも鳴らない。
気づいたら、奥歯から力が抜けていた。三か月ぶりに。
翌日の昼、夜勤明けのカナがリビングに降りてきて、一言だけ。
「寝れた!」
長い息を吐いたその顔を見て、決めた。壁掛けという設置方法を、人が眠る壁には二度と勧めない。
室外機の壁掛けは、置き場所がない家だけが切る札にしておく。選ぶなら、掛ける壁と、排水先と、防振材を、見積もりの紙に書かせてから判を押す。
外壁に残った六つの灰色の丸は、その順番を間違えた印として、今も並んでいる。

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