レンジの中で、トレイが波打っていた
スーパーで買った挽肉を、白いトレイごと電子レンジに入れて解凍ボタンを押した。
30秒後に振り返ると、トレイの底が溶けて挽肉に張りついていた。
都内のシェアハウスに住むSさん(20代)の失敗談だ。「肉と容器の境目が、あめ細工みたいにぐにゃっと一体化してて。これ食べられるのかな、いや無理だろって、肉ごと捨てました。共用レンジの中にプラスチックの焦げた匂いが残って、しばらく換気してましたよ…」。
発泡スチロールは電子レンジで使えるのか。検索する人の多くは、Sさんと同じく弁当やトレイを目の前にして、今まさに温めようか迷っている。答えを曖昧にせず言い切る。あたためモードは不可、容器が溶ける。ただし解凍モードなら条件付きで使える。この使い分けと、なぜ危険なのかという理由、そして溶けてしまったときの後始末まで、順番に説明する。
溶ける理由は、耐熱温度のシンプルな話
発泡スチロールの正体はポリスチレンというプラスチックで、その耐熱温度はおよそ80〜90℃しかない。
電子レンジのあたためは、食品の温度を軽く100℃近くまで持っていく。容器そのものはマイクロ波で直接加熱されにくいが、中の食品が80〜90℃に達すると、接触している部分から熱が伝わって容器が溶け始める。Sさんのトレイが挽肉と一体化したのは、まさにこの接触面の溶解だ。
ちなみにJIS規格では、電子レンジで使える耐熱容器は140℃以上と定められている。発泡スチロールはその基準を大きく下回る。レンジ対応と明記されていない発泡スチロール容器は、あたためには使えないと考えていい。
溶けた発泡スチロールが、本当に怖い理由
変形と穴あき、こぼれという物理的な事故
まず分かりやすいリスクから。発泡スチロール容器をレンジにかけると、縮んだり、底に穴が開いたり、形が崩れたりする。
穴が開けば中の汁物がレンジ庫内にこぼれ、容器が変形すれば取り出すときに熱い中身がぶちまけられる。やけどにつながる物理的な事故だ。共用レンジなら、庫内を汚した後始末で次に使う人を待たせることにもなる。
化学物質が食品に移る、見えないリスク
物理的な事故よりも、本当に注意したいのはこちらだ。
発泡スチロールが熱で溶けると、製造過程で使われる化学物質が溶け出して、温めている食品に移る可能性がある。スチレンモノマーやベンゼンといった物質がそれにあたる。世界保健機関の専門機関である国際がん研究機関は、スチレンを人に対して発がん性がある可能性がある物質、いわゆるGroup 2Bに分類している。
これは動物実験で発がん性が認められた段階で、人への影響の証拠はまだ限定的とされる。過度に恐れる必要はない。ただ、安全が完全に証明されているわけでもない。溶けた容器が混ざった食品を口に入れるのは、避けられるなら避けたほうがいい。Sさんが溶けた挽肉を迷わず捨てた判断は、結果的に正しかった。
解凍モードなら使える、その境界線
あたためと解凍は、温度がまるで違う
ここが多くのサイトが曖昧にする部分だ。発泡スチロールは絶対レンジ禁止と言い切る記事もあるが、正確には解凍モードなら使える余地がある。
解凍モードは、あたためより低い出力でゆっくり温度を上げる。200〜300Wの低温設定で動くため、食品が発泡スチロールの耐熱温度を超えにくい。買ってきた肉や魚をトレイごと冷凍してしまった場合でも、解凍モードならサッと半解凍する程度には使える。
ただし条件付きだ。長くかけすぎれば解凍モードでも温度は上がって溶ける。途中で何度も止めて様子を見る、短い時間で刻む、一度かき混ぜる。この手間を惜しまないことが前提になる。少しでも変形の兆しが見えたら、そこで止める。
いちばん安全なのは、移し替える一手間
迷うくらいなら、答えは決まっている。中身を耐熱容器に移してから温める。これに尽きる。
テイクアウト弁当も、スーパーの惣菜も、冷凍した肉も、耐熱ガラスかレンジ対応のプラスチック容器に移せば、溶ける心配も化学物質の不安も一気に消える。洗い物が一つ増えるだけで、得られる安心は大きい。
そもそも肉や魚を冷凍するなら、トレイごとではなくラップで包んでから冷凍するのが正解だ。トレイのドリップ汁ごと冷凍するより衛生的で、解凍時のトラブルも起きない。買ってきたら一度トレイから出してラップに包み替える。この習慣がつくと、レンジ前で悩む場面そのものがなくなる。
もし溶けてしまったら、庫内をこう掃除する
お湯か重曹水でふやかして拭き取る
うっかり溶かしてしまったとき、庫内にこびりついた発泡スチロールをどう取るか。これも知っておくと慌てずに済む。
固まったプラスチックを無理に削ると傷がつく。まずはお湯で湿らせた布を当てて、溶けた部分をふやかす。重曹を溶かしたぬるま湯を使うと、油分も一緒に浮いて落としやすい。柔らかくなったところを、こすらず拭き取る。
ここで気をつけたいのが溶剤だ。ネットにはシンナーやトルエンで落とすという情報もあるが、これらは中枢神経に作用する劇物で、食品を温める庫内に使うものではない。気化した成分が次に温める食品に移るリスクを考えれば、家庭のレンジ掃除に使う選択肢ではない。お湯と重曹で根気よく、が安全な正解だ。
シェアハウスの共用レンジで決めた、ひとつのルール
Sさんのトレイ溶解事件の後、シェアハウスでちょっとした話し合いがあった。
共用レンジは5人で使う。誰かが容器を溶かせば、その匂いと汚れは全員に影響する。実際、Sさんの一件で庫内にしばらく匂いが残り、次に使ったメンバーから指摘があったという。
そこで決まったのが、容器のまま温める前に底のマークを確認するという緩い約束だ。容器の底には電子レンジ対応か否かを示す表示があることが多い。電子レンジ可なら使える、不明なら皿に移す。たったこれだけのルールで、共用レンジのトラブルがゼロになった。「マークを見る癖がついたら、コンビニ弁当の容器とかも自然と気にするようになって。知ってるか知らないかだけの差だったんだなって」とSさんは笑う。
取材で見えてきたのは、発泡スチロールのレンジ問題は危険性より知識の有無で結果が分かれるという事実だった。耐熱80〜90℃という数字をひとつ知っているだけで、トレイを溶かすことも、得体の知れない物質を口にすることも避けられる。買ってきた弁当を温める前に、容器の底をちらりと見る。迷ったら皿に移す。今日からの正解は、それだけだ。

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