通販アプリのカートが、ぱんぱんに膨らんでいた。ベビーベッド、ハイローチェア、おむつストッカー。そのいちばん下に、木目のベビークローゼットが一台ちょこんと乗っている。友人の陽子が里帰り前に見せてくれた買い物リストで、指はもう会計ボタンに触れかけていた。
待って、これ一年後に何を入れるんだろう
ふと画面から目を離す。彼女の膝の上には、生まれてくる子の肌着が畳んで積んであった。手のひらに乗るくらいの、あの小ささ。……これを、この立派な棚に吊るす?想像したら、なんだか笑えてきた。
ベビークローゼットを買う前に、手が止まった
きっかけは、そのカートの違和感だった。他のものは分かる。寝る場所も、おむつの置き場も要る。棚だけ、用途が像を結ばない。
服が小さすぎて、掛ける意味が見当たらない
陽子と一緒に、用意した服を床に広げてみた。新生児の肌着は、大人の手ぬぐいより頼りない。前を開いて紐で結ぶタイプがほとんどで、そもそもハンガーに通す前提で作られていない。畳めば手のひら二枚ぶん。ずらりと並んだそれを前に、二人でしばらく黙り込んだ。掛ける服が、ない。ロンパースを一枚だけ試しに子供用ハンガーへ通してみたけれど、生地がくたっと垂れて肩の形すら出ない。(これは畳むやつだ)結論はあっけなかった。
あると便利という言葉の裏側
ベビー用品の棚を歩くと、専用と名のつく家具がずらりと待ち構えている。ベビー用の、と頭につくだけで、なんとなく買わなきゃいけない気になってくる。あの空気、正直ちょっと苦手だ。陽子も店員に勧められるまま、危うくもう一台足しかけた。踏みとどまれたのは、部屋の広さを思い出したから。里帰りが終われば帰るのは都内の1LDK。大人の家具と、増え続けるベビー用品がそこに同居する。棚を一台置けば、その面積ぶん暮らしが窮屈になっていく。
一万円の棚より、おむつとミルクに回したい
値段の話も外せない。専用クローゼットは、安いものでも一万円は超えてくる。まあまあの出費だ。生まれたあとにかかるお金を数え始めると、この一台がずっしり重く見えてくる。おむつは減り続けるし、ミルクも肌着の買い足しも待ってくれない。使う期間の限られた家具に一万円を沈めるより、消えていく日用品に充てたほうが、家計はずっと楽に回る。陽子はそこで、いったんカートから棚を外した。
専用のベビークローゼットは、いらない
言い切る。生まれてすぐの数か月に、掛ける収納の出番はほとんどない。そして専用の棚は、子が育つ速さに置いていかれる。
サイズが三か月で変わる、という現実
赤ちゃんの服は、季節ではなく成長で入れ替わる。50サイズがみるみるきつくなり、60、70と駆け上がっていく。陽子の子も、退院から三か月で最初の肌着に袖が通らなくなった。棚に合わせて服を選ぶのではない。服のほうが猛烈な速度で入れ替わる。作り付けの家具は、この回転についていけない。今日ちょうどいい収納が、半年後には持て余す箱に変わっている。専用に振り切った設計ほど、その日が来たとき別の使い道が利かない。
掛ける収納より、畳んで放り込む収納が勝つ
小さい服は、掛けるより畳むほうが速いし探しやすい。引き出しを開けて、肌着、ロンパース、スタイと、ざっくり分けて放り込むだけ。片手で子を抱いたまま、もう片方で一枚を引き抜く。この動作が一日に何度も来る。吊るした服を一枚ずつ吟味する余裕なんて、夜中の授乳あとには一滴も残っていない。じゃばっと引き出して、さっと取る。畳む収納が家事の速度に噛み合う。
代わりに置いたのは、動かせる収納だった
陽子が最後に選んだのは、専用の棚ではなかった。すでに家にあるものと、後からどうにでもなるものだけ。それで足りてしまった。
引き出しケースとカラーボックスで事足りた
使ったのは、透明の引き出しケースが数段と、余っていたカラーボックス一つ。ケースは服の量に合わせて段を足したり抜いたりできる。中が透けるから、どこに何があるか開ける前に見当がつく。子供服を卒業したあとは、おもちゃ入れにも生活用品の収納にも化ける。ベビーと名のつく家具は一台も増えていない。それでも必要な服はぜんぶ収まった。
親のクローゼットの一角を、間借りする
どうしても掛けたい数枚は、陽子自身のクローゼットの端に子供用のバーを短く渡して吊るした。突っ張り棒を一本、低い位置に足しただけ。新しく専用スペースを作らず、今ある空間を薄く割って分け合う。この発想に切り替えた瞬間、部屋に余白がふっと戻ってきた。家具は、増やすより間借りするほうが身軽でいられる。
使う回数で、置き場所を分ける
肌着やおむつのように一日何度も触るものは、腰の高さの取り出しやすい段へ。セレモニー用のよそいきや、まだ着られない先のサイズは、上の段か別の箱へ回す。頻度で場所を決めると、動線が驚くほど短くなる。夜中に手探りで引き出しを開けても、指がちゃんと目当てのものに届く。この設計のうまさは、専用家具かどうかとは関係がない。
それでも、吊るしたい服はほんの少しある
専用クローゼットはいらない。でも掛ける収納がまるごと不要とまでは言わない。ここは正直に線を引いておく。
セレモニー服とアウターは、吊るす価値がある
お宮参りの晴れ着、退院時のちょっといいロンパース、冬のアウター。この辺りは畳むと折り目がつき、いざ着せるとき気になる。数えるほどしかないから、掛けておける幅がほんの少しあると助かる。ただし要るのはバー一本ぶんの幅であって、家具を一台構える話ではない。突っ張り棒か、親の棚の隅で足りてしまう。
掛ける前提で、先に買い足さない
先回りしてハンガーラックを迎え入れると、たいてい持て余す。子の服が増えて、掛けたいものが本当に出てきてから、そのぶんだけ足せばいい。順番を逆にしないだけで、無駄な一台を家に招かずに済む。陽子も、ラックは最後まで買わなかった。突っ張り棒一本のまま、もう一年を越えている。
ベビークローゼットが向く人、いらない人
全員に不要だとは言わない。ただ、迷っている時点で、たぶん答えは半分出ている。
部屋が狭いなら、まず買わなくていい
都内で子育てを始める人の多くは、限られた床面積とにらめっこしている。そこへ専用家具を一台入れる判断は、後戻りしにくい。まず今ある収納で回してみて、本当に足りないと分かってから足す。困ってから動いても、赤ちゃんの服は待ってくれる。先に家具から埋めると、部屋のほうが先に音を上げる。
もらえるなら、無理に断らなくていい
おさがりや、誰かが使わなくなった一台を譲ってもらえるなら、話は別。お金をかけずに手に入って、置く場所さえあるなら使えばいい。要らなくなったら次へ回すだけ。あくまで、わざわざ新品を買い足す必要はない、という話だ。会計ボタンを押す前に一度だけ立ち止まる。それで、あとから悔やむ買い物がひとつ減る。
友人の麻衣は逆に、出産前に大きなベビータンスを一台買った。かわいい木目で、写真映えもする。半年後に部屋を訪ねたら、いちばん上の段には使わなくなった来客用の毛布が詰め込まれていた。子供服はというと、結局リビングの引き出しケースに全部移していた。手が届きやすいから、と麻衣は苦笑いしていた。棚が悪いのではない。置き場所と使う頻度が、最初の想像とずれただけ。
家具は増やさず、暮らしに合わせて足していく
陽子の1LDKには、今も専用のベビークローゼットはない。引き出しケースは子の成長に合わせて中身を入れ替え、カラーボックスはとっくにおもちゃ棚へ転職した。突っ張り棒に掛かっているのは、季節のアウターが数枚だけ。買わなかったことを、彼女は一度も悔やんでいない。あのとき会計ボタンを押さなくてよかった、と笑う。赤ちゃんに要るのは、専用と書かれた立派な家具ではなく、育つ速さに合わせて姿を変えられる、身軽な入れ物のほうだった。

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