スイッチを入れた瞬間、部屋が発酵した
土曜の午前。リビングの掃除当番だった。
共用の掃除機のスイッチを押す。ごうん、と唸って、次の瞬間、排気の匂いが顔に届いた。
納豆。まぎれもなく納豆。
誰か、こぼしたのか?
一度止めて、床を見回す。それらしいものは落ちていない。もう一度スイッチを入れる。同じ匂いが、今度は部屋の奥まで広がった。
掃除しているのに、部屋が臭くなっていく。この矛盾。
窓を全開にして、その日は諦めた。
シェアハウスで六人が使う掃除機。三年で二台使って、両方ともこの匂いを出した。
原因を潰していったら、犯人は納豆ではなかった。
納豆の匂いは、菌が出している
あの独特の匂いは、発酵で生じる物質によるもの。
掃除機の中で、似た種類の菌が繁殖すると、同じような匂いが出る。
条件は三つ。有機物、湿気、温度。掃除機の内部は、この三つが揃いやすい。
食べこぼし、髪の毛、皮脂、ほこり。全部が菌の餌になる。
どこで発生しているか
匂いの出どころは、だいたい四か所。
ゴミを溜める部分、排気のフィルター、ホースの内側、床を吸うヘッドの中。
うちの二台は、それぞれ別の場所が原因だった。順番に潰していくと、どこかで当たる。
ゴミを溜める部分を、まず疑う
紙パック式は、交換のタイミングを過ぎている
紙パックが満杯に近づくと、内部の空気の流れが悪くなる。
湿気が抜けずに溜まる。中の有機物が湿ったまま放置される。
うちの一台目がこれだった。開けたら、パックが膨らんで、口の周りに灰色の粉が付着していた。
交換の目安は、満杯になる前。八割で替える。
共同生活だと、誰も替えない。うちは予備を掃除機の横に置いて、気づいた人が替える形にした。
サイクロン式は、内壁に膜ができる
ゴミを捨てても匂いが残る場合。
透明な容器の内側に、薄い茶色の膜が付いている。指でこすると、ぬるっとする。
これが菌の温床。ゴミを捨てるだけでは取れない。
容器を外して、水洗いする。中性洗剤を使って、スポンジで内壁をこする。
うちは月に一度と決めた。洗ったあと、完全に乾かしてから戻す。湿ったまま戻すと、翌週にはまた膜ができる。
ゴミを溜めたまま、放置しない
使い終わったら、その場で捨てる。
一週間放置すると、内部で発酵が始まる。特に夏場は早い。
うちは掃除当番が終わったら捨てる決まりにした。それだけで、匂いの発生頻度が減った。
フィルターが、本当の犯人だった
排気側のフィルターを、外したことがあるか
二台目の原因はここ。
本体の側面か背面に、排気の出口がある。その内側にフィルターが入っている。
うちは一年半、誰も外していなかった。開けたとき、灰色を通り越して茶色くなった綿の層が出てきた。
鼻を近づけたら、まさにあの匂いだった。ここが発生源。
取扱説明書に、外し方が書いてある。機種名で検索すれば出てくる。
洗えるものと、洗えないものがある
水洗い可能と書かれているフィルターは、洗う。
洗剤を使って、押し洗い。もみ洗いすると、繊維が崩れる。
洗ったあと、完全に乾かす。半乾きで戻すと、そこからまた匂いが出る。うちは二日干した。
洗えないタイプは、交換部品を買う。メーカーの部品窓口か、家電量販店で取り寄せる。千円前後。
うちは交換タイプだった。替えた瞬間、匂いが消えた。
吸い込み側のフィルターも見る
ゴミを溜める容器と、モーターのあいだにもフィルターがある。
細かいほこりを止める役割。ここも詰まる。
うちのは、スポンジ状の丸いものが入っていた。黒く変色していた。
洗って乾かして戻したら、吸引力まで戻った。匂いだけでなく、性能も落ちていたことになる。
ホースとヘッドの中
ホースを外して、光にかざす
本体からホースを外して、片方の端から覗く。
反対側の光が見えれば、詰まっていない。見えないなら、何かが詰まっている。
うちのは、途中に髪の毛の塊が引っかかっていた。長い棒で押し出したら、湿った灰色の塊が出てきた。
あれを見た瞬間、指先が冷たくなった。何日そこにあったのか分からない。
ホースの内側は、蛇腹の谷に汚れが溜まる。水を流して洗う。乾かすのに一日かかる。
ヘッドの回転ブラシに、髪が巻き付いている
床に当たる部分のヘッド。裏返すと、回転するブラシが入っている。
ここに髪の毛が巻き付いて、団子になる。
うちは六人で使っているので、溜まる速度が速い。二か月で、ブラシの軸が見えなくなるほど巻き付いていた。
はさみで切って外す。ブラシごと取り外せる機種なら、外して水洗いする。
巻き付いた髪の毛は、湿気を抱える。そこで菌が増える。
ヘッドの内部を、拭く
ブラシを外したあと、内側の壁を見る。
ほこりが層になって張り付いている。湿らせた布で拭き取る。
うちは古い歯ブラシで角をこすった。細かい溝に、黒い塊が詰まっていた。
乾かしてから組み立てる。
それでも匂いが消えないとき
本体の内部に、液体を吸い込んでいる
これが最も厄介なパターン。
掃除機は、液体を吸うようにできていない。少量の水分を吸うと、内部に残る。
うちの住人が、こぼれた飲み物を拭いたあと、湿ったままの床を掃除機にかけたことがある。
その水分が本体の奥に入り、乾かないまま菌が増えた。
分解できない部分に入ると、対処が難しい。メーカーに相談するか、買い替えになる。
ゴム部品の劣化
本体の接合部に使われているゴムのパッキン。
劣化すると、ゴム自体が独特の匂いを出す。納豆というより、酸っぱい匂いに近い。
指で押して、べたつきがあれば劣化している。
部品交換で解決するが、機種によっては取り寄せに時間がかかる。
モーターの焼けた匂いと、区別する
発酵の匂いとは別に、焦げた匂いがする場合がある。
これは内部で異常な発熱が起きている合図。すぐ使用を止める。
うちで一度、フィルターが詰まったまま使い続けて、この匂いが出た。空気が通らず、モーターに負担がかかっていた。
匂いの種類を、鼻で区別する。発酵なら手入れ、焦げなら停止。
共用で使うなら、決めておくこと
捨てる担当を、使った人にする
誰かが定期的に手入れする、という決め方だと機能しない。
使った人が、使い終わりにゴミを捨てる。この形が一番続いた。
うちは掃除機の横に、小さなゴミ袋を吊るした。捨てる場所が近いと、面倒が減る。
月に一度の分解日を、作る
フィルターとヘッドの掃除は、日常の手入れとは別。
うちは第一日曜の午前に、その月の当番が分解して洗う。
最初は面倒がられたが、匂いが出なくなった実感があってから、誰も文句を言わなくなった。
洗って干している一日、掃除機が使えない。それも含めて予定に入れる。
濡れたものを吸わない、を徹底する
これが一番効いた決まりごと。
床が濡れていたら、先に拭く。完全に乾いてから掃除機をかける。
うちは水拭きしたあと、三十分空けるようにした。
液体を吸わせない。この一点で、内部の環境が変わる。
先週、リビングで住人のミオが掃除機を分解していた。
新聞紙を広げて、その上にフィルターとブラシを並べている。ヘッドの裏から、はさみで切った髪の毛の束を取り出していた。
「これ、絶対原因これですよ」
灰色の塊を割り箸でつまんで、袋に入れる。
洗ったフィルターは、ベランダで二日干された。月曜にスイッチを入れたとき、排気から出てきたのは、ただの風の匂いだった。

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