背中を真っ赤にして出てきた同居人を見た
風呂上がりのカイさんの背中が、ゆでダコみたいになっていた。
「垢すりタオル、あれ最高だわ」
そう言いながらタオルで首を拭く手が、少し乱暴だった。肩甲骨のあたりが、ひりひり赤い。
本人は、すっきりした顔をしている。汚れを落とし切った、という達成感の顔。
(その赤み、汚れが落ちたんじゃなくて、肌が削れてるんだけどな)
言おうとして、やめました。あの気持ちよさを、頭ごなしに否定してもしょうがない。
ポロポロ出る、あれが快感だった
気持ちは、痛いほどわかるんです。
垢すりタオルで腕をこすると、白いカスがぽろぽろと出てくる。消しゴムのカスみたいに。
これだけ出たということは、それだけ汚れていた。そう思うと、妙な満足感がある。
私も昔、腕が赤くなるまでこすって、達成感にひたっていた側の人間です。
気持ちよさと、肌にいいことは、別の話
先に、結論を置きます。
垢すりは、しなくていい。しないと不潔になる、という心配は、まるごと不要です。
それどころか、こする習慣そのものが、肌を悪くしている可能性が高い。ここは、はっきり言い切ります。
垢すりをしなくても、体は汚れていかない
垢は、放っておいても剥がれ落ちる
垢の正体は、役目を終えて古くなった皮膚です。
この古い皮膚は、こすって無理やり剥がさなくても、時間が来れば自然にはがれ落ちる仕組みになっています。
服を着て、動いて、寝返りを打つ。それだけで、寿命を迎えた表面は少しずつ剥がれていく。
放置して体に垢が積もっていく、なんてことは起きません。
二十八日で、肌は勝手に入れ替わる
肌の表面は、およそ四週間かけて、下から新しい細胞に押し上げられ、古いものが表面から剥がれていきます。ターンオーバーと呼ばれる仕組み。
このサイクルは、あなたが何をしていても、勝手に回っている。
垢すりでできるのは、このサイクルを先回りして、まだ役目のある皮膚まで剥ぎ取ってしまうこと。手伝っているつもりで、順番を狂わせている。
こすって出る白いカスの、本当の正体
では、あのぽろぽろは何なのか。
古い角質だけではありません。まだ剥がれる時期に来ていない、健康な角質まで一緒に削り取られています。
つまり、たくさん出たから汚れていた、のではない。強くこすれば、きれいな肌からでも、いくらでも出る。
出た量は、汚れの量ではなく、削った量なんです。
こする人ほど、肌を悪くしている
バリアを削ると、乾燥が始まる
肌の表面には、水分を逃がさず、外の刺激を防ぐ、薄い膜のような層があります。
垢すりは、これを削り取ります。
バリアを失った肌は、水分が抜けやすくなる。風呂上がりに、粉をふいたようにカサカサする。あれは、こすりすぎのサインです。
乾燥するからと保湿を足す。でも翌日また削る。いたちごっこの入り口が、ここにあります。
黒ずみは、汚れではなく防御反応
肘、膝、首。こすった場所が、だんだん黒ずんでくる。
汚れが溜まったと思って、さらに強くこする。逆です。
繰り返し摩擦を受けた肌は、身を守ろうとして、色素を増やし、角質を厚くします。こするほど、黒く、ごわつく。
黒ずみの多くは、汚れではなく、こすった歴史そのものなんですよ。
埋没毛という、こすった代償
すね毛や腕の毛が、皮膚の下で丸まって埋もれてしまう。ぽつぽつとした黒い点になる。
これも、こすりすぎで角質が厚くなり、毛が表に出られなくなった結果であることが多い。
つるつるにしたくてこすって、かえって毛が閉じ込められる。この皮肉、けっこう多くの人が踏んでいます。
では、体は何で洗えばいいのか
手で足りる。これは大げさではない
石けんを泡立てて、手のひらで洗う。ほとんどの場所は、これで十分に清潔になります。
汗も、皮脂も、ほこりも、泡がちゃんと絡め取ってくれる。ゴシゴシという物理的な摩擦は、汚れ落としにほぼ関係ありません。
手で洗うなんて、洗った気がしない。その感覚こそが、こすり癖の正体です。
泡が、こすりの代わりをする
汚れを落とすのは、こする力ではなく、洗浄成分です。
だから、しっかり泡立てることのほうが、力を込めることより、ずっと大事。
きめの細かい泡を肌に乗せて、手のひらでなでるように広げる。それだけで、皮脂汚れは浮き上がって流れていきます。
タオルを使うなら、なでるだけ
どうしてもタオルを使いたいなら、やわらかい綿のものを。
ナイロンの、あのじゃりじゃりしたボディタオルは、垢すりと同じことをしています。
泡を含ませて、肌の上をすーっと滑らせる。押しつけない。往復させない。それで、汚れは落ちます。
それでも洗えている気がしない、という感覚
洗浄と、こすった手応えは、別物
ここが、いちばんの壁です。
手で洗うと、あのキュッとした感触も、ぽろぽろの手応えもない。だから、汚れが残っている気がする。
でも、その手応えは、清潔さの証拠ではありません。肌を削った感触にすぎない。
きれいになったかどうかと、こすった実感があるかどうか。この二つを、私たちは長いこと混同してきました。
においが気になる場所は、限られている
全身を強く洗う必要は、ありません。
においや汗が気になるのは、脇、足の指の間、股、うなじ、耳の裏。皮脂腺や汗腺が集まっている場所。
ここだけは丁寧に泡で洗う。逆に、すねや腕や背中は、泡をなでる程度でいい。
全身を一律にゴシゴシする発想を捨てると、力の入れどころが見えてきます。
一日の終わりに、本当に落とすべきもの
一日ぶんの汗と皮脂、日焼け止め。落とすのは、これで足ります。
これらは、こすらなくても、泡とぬるま湯で流れます。熱すぎるお湯は、必要な皮脂まで奪うので、ぬるめがいい。
落とすべきものは、思っているより少ない。削るべきものは、何一つない。
垢すりが向いている、数少ない場面
かかとや肘の、厚くなった角質
体の中で、角質が本当に厚く硬くなる場所は、あります。
かかと、肘、膝。ここは体重や摩擦で角質が積み重なり、ごわつく。
こうした一部の硬い場所を、専用の道具でケアするのは、意味があります。全身を削るのとは、話がまったく違う。
やるなら、頻度と力を間違えない
かかとをケアするとしても、毎日はやりすぎ。
削った直後は柔らかくなりますが、体はまた守ろうとして角質を作ります。頻繁に削れば、かえって厚くなる。
数週間に一度、入浴でふやけた後に、軽く。この程度で足ります。つるつるを追い求めて毎晩削る人が、いちばん硬いかかとになる。
こするのをやめた三人の背中
一か月で、粉をふかなくなった
あの真っ赤な背中のカイさんに、一か月だけこするのをやめてみないか、と持ちかけました。
最初の一週間は、洗った気がしないと不満そうでした。手応えがない、と。
三週間を過ぎたあたりから、変化が出た。風呂上がりにいつも粉をふいていたすねが、しっとりしている。かゆがらなくなった。
本人が、いちばん驚いていました。
この家の風呂に、ナイロンタオルはもうない
うちの共用の風呂には、以前、じゃりじゃりのボディタオルが三枚ぶら下がっていました。
今は、一枚もありません。代わりに、泡立てネットが置いてある。
住人が順番に、こするのをやめていった。誰かの肌がきれいになると、隣の人が真似をする。そういう連鎖でした。
洗わないと汚れる、という不安は、じつは根拠が薄い。削らないと落ちない汚れなんて、日常の暮らしには、ほとんど存在しない。
背中を赤くして出てくる人を、この家でもう見なくなりました。
垢すりをしないと、どうなるか。肌が、静かに元の状態に戻っていく。それだけの話でした。
気になる肌トラブルが続くようなら、自己判断でこすり続けず、皮膚科で診てもらうのが遠回りに見えて早いです。

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